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科学してないし

おなじみ「脳は0.1秒で恋をする」の感想文です。

脳科学を謳っていながらハッキリ言って、この本、あんまり「科学」してません^^;

著者の体験談や考えをただ羅列しているだけの様な部分も多々見られます。

「考察」などで自らの考えや憶測などを記載するのはよいが、「科学」である限り、常に客観的に、エビデンスに基づき、信頼できるデータを元にして事実のみを記載せねばならぬ。 化学物質などを擬人化してレポートを提出するなど言語道断!

と実は私もよく先生に注意されていますwww

本来、理系向きとは思えない私にとって、それ結構つらいんですけどね^^; 今まで理科は全部そんな風にして勉強してきましたから。

一度、顕微鏡の実習で、細胞の中の核とかミトコンドリアとかをスケッチしてそれぞれの機能とかを書く課題があったのですが、もう我慢できなくなって、毒を食らわば皿までの精神で、それぞれを個性を持ったキャラに仕立て上げて「楽しそうに踊っている」とかまるで物語みたいなレポートに仕上げた事がありました。

当然、再提出ですwww 一応要点は全て押さえているのですが、不必要な言葉が多すぎるのでしょう。 不適切な表現の全てに赤線が几帳面に引っ張られてあって苦笑しました。 すぐ撥ねるんじゃなくてちゃんと最後までこんなのを読んでくださったんだーとちょっと嬉しかったりなんかして(/∀\*))♪

いや、実際面白かったのかもしれません。読み物としては。 しかし、「科学」のレポートとしては0点なのでしょう。

と前置きはこのぐらいにして、本題へ。

「科学」してなくても、これはいいこと言ってらっしゃるな。と思ったフレーズをいくつか抽出してみようと思います。

  

「未来の人類はこのように行動するだろう」と思えるような事を先取りしている人物は、なぜだか理由はわからないなりにも、多くの人が魅力的に感じてしまうものなのです。 世の中の「最先端」の人は、その時代の周囲の人の生き方からすると常識から外れている事が多い。けれどもなぜだか魅力的で、多くの人を惹きつける。しかし、そこから何十年か時代が下がると、意外とその「最先端」だったはずの人の生き方の方が常識となっている場合が多いのです。

これは非常にうなずけますね。 画家とか建築家とか作曲家とか様々なジャンルでその通りだと思います。

印象派の絵画など、出た当初は「何だよこれ。塗り残しだらけじゃないか!」って感じの非常識な作品だったのでしょう。 コンクリート打ちっ放しの壁の家なんて「こ、これまだ工事中じゃないの?」って感じだったでしょうし、「こんな歌、何を喋ってるのか字幕無かったらサッパリわからない!」って感じだったでしょう。 そのような非常識な作品が、10年後には一番ポピュラーになっている。 よくある事だと思います。

「あんたみたいな事する子は、前代未聞よ!」と先生や先輩から叱られても意に介さず、前代未聞?それ私にとって最高の褒め言葉よ^^ なんて思ってる人、居ませんかー(^p^;)

ついでにもう一つ、「出会った誰もが恋をするような人」というフレーズがありました。それは、

「自分」を離れ、「自分」を捨てる、そして「他者」の言葉に耳を傾ける。 自分が好ましいと思っている人に対してだけでなく、ちょっと苦手だなと感じる人にでも、分け隔てなく接しながらも、常に「最高のリラックス」状態でいられる人。

と書いてありました。

難しいですが、私はこう解釈しました。

「自分」という物を無理に作り上げず、つまり、少しでもよく見せよう、感じよく印象づけよう、と意識しすぎず、ゆるやかに心を解きほぐせていて鎧をまとっていない様な状態。 例えば掲示板の書き込み。 礼儀を知らない初心者カキコに対しても懇切丁寧に対応してらっしゃるレスとか、何気ない一言でも書いた本人は何ら意識せず思うがまま書いた言葉なのでしょうけど、多くの人がそれに共感したり、面白い!と感じたりして、この人とお話ししてみたいなー。と感じる事、ありますよね。

ただ、この時、非常に邪魔になるのがVRやBRのレートの数字です。 こちらがその人に比べて低すぎるとそれだけで、話しかけたいけど相手にしてもらえないんじゃないだろうか(´・ω・`)? と思っちゃいます。 実際そんな事は決してないはずなのですが。 その人にとっては、せっかく話しかけて下さるはずだったお友達が来てくれないという結果になっちゃいます。 

って、なんでマリオカの話になってるし!

 

人は大きな悲しみがあった後にこそ、大きな喜びを得るようになっています。一つの恋を失うという事は、それだけ心に空白ができるという事です。脳はその空白を埋めようと必死になって次の幸福を探すための準備をします。 だから、恋が終わったと嘆くのならば、その現実から逃避するのではなく、思い切りその現実を受け止める。いっそのこと、どん底まで落ちて、そのそこを確かめてから地を蹴って浮上する事こそが、次なる幸せへの唯一の道なのです。

これも生きていく上で非常に大切な事が書かれていると思います。

別に失恋に限った事ではありません。 受験や事業に失敗したとか、試合に負けたとか、大切な人と死別したとか、イジメに遭ったとか、何にでも当てはまると思います。

今の自分の状態を嘆き、愚痴ばかり言って自暴自棄になろうとしている人、居ませんか?

そんな風になりそうな時、れいなはこうしています。

今まで生きてていっっっちばん辛かった時の事を思い出します。そして「あの時のどん底の最悪の状態に比べたら、いま私はどれほど恵まれているか。」と目を背けたくなる様な過去を思い出します。そして「これしきの事で腐ってたら何にもできなくなる。」と自分を鼓舞します。 今をマイナス査定するのではなく、最悪だった時を0としてプラス査定するのです。

それでもなお過去にないほど今が最悪の状態なら、それこそ、未来の自分を鼓舞するために味わっている、これがどん底なんだと開き直って受け止めましょう。

まあしかし、これなど実際その最中の人に理解しなさいと言っても無理な話で、後から解る事だと思いますけどね。


Posted by れいな on 06.2010   0 comments
Category :学術的日記

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